その点、辻井伸行さんは、観客をしっかり集められるでしょうね。
「盲目」というのは確かにハンデキャップだけれど、
確実に人々の記憶に残りますね。
そして、その「盲目」の演奏というのがどういうものなのか、
CDだけでなく、実際に見たくなります。
下世話な感じですが、まあ、これが正直なところだと思います。
でも、そんなのは間口をちょっと広げるだけのことで、
実際に演奏が良くなければ、客なんて冷たいもんです。
…で、どうなのか!?
いやいや!なんといっても演奏が良い!のです。
今、辻井伸行さんのサイトを開いたまま記事を書いているのですが、
http://www.nobupiano1988.com/piano/index.html
サイトからは演奏が聞こえて…なんて優しい音色なんでしょう。
クリアで優しいですねえ。。。。
弦楽四重奏だったかな?
「入り」のタイミングを合わせるところ、楽団の人々は戸惑うのですが、
辻井伸行さんは、全く平気。「客席が静かになるし」かなんか言ってるくらい。
で、本番は…
これがスゴイ!
楽団はピアノの前に座っている、つまり全員辻井さんに背中を向けている。
各人が弓を上げて、全員そろって引くのと全く同時、
辻井さんも両手を上げて、鍵盤を叩く…!
スゴイ!この息を飲む絶妙なタイミング!
見えている人では合わせられないかもしれない!
私は「見える」ことで、見落としている感覚が一杯あるようだ…と最近つくづく思うのですが、まさに、これは、中でも神業と思える「耳」…「気配の読み方」だと思いました。
後のオーケストラの指揮者は「息で合わせる」、
と聞いて一生懸命鼻息を出していましたが、
多分、そういうことじゃないんですよね。
無音で良いのだと思います。
辻井さんには、指揮棒が上がった瞬間を感じられるのだと思います。
『武士の一分』を思い出しましたね。気配ですよね。
演奏後にマエストロは「彼はとてもハイレベルな耳を持っている」と言ってましたね。
小田嶋薫さんは、以前は歌う前にピアノの池沢由香子さんの方を必ず振り返りました。
それが、ある時から振り向かなくなりました。
小田嶋さんが息を吸うのを池沢さんが見ているから合わせられる、
ということでしたが、お二人の間では「視認」しているつもりでも、
実は、既に互いに「気配」で分かっているような気がします。
「気配」…見えないけれど、皆感じてはいるのですよね。
でも、せっかく感じていても見えないから否定してしまったりしてました、私。
そんなことを考えていたら、多くの人は目が見えるから、
社会は「見える」ということを前提に色々なシステムが創られていて、
建物や、情報交換の方法なんかも…
でも、でもですよ、「人間」という生き物の多くが盲目であったら、
見えている少数派が障害者となりますよね。
もし、そんな世の中だったら、盲目の方が動き易いシステムになっていたかもしれない。
盲目の人が歩き易いように建物や道も作られるに違いない、
そして、そんな建物は却って見える人にはとても使いづらいものかもしれない…
気配を確実に読み取れないと生きられない社会かもしれない。
だから、健常者というのは、ただの多数派に過ぎない…と思ったりしました。
しかし、優しい音色です。
これは体に良い音楽ですよ、ホント^^
ああ、ショパンの別れの曲なんかを、生で聞いたら絶対泣いちゃいそうですね。。。