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断頭台に向かうマリーは、どうも毅然とはしていなかったようです。
『ベルサイユのばら』直撃世代としては、譲れないものがあります。
私は、初めて連載マンガに心奪われたというのが、
「ベルバラ」と「エースをねらえ!」
「ベルバラ」が始まった時、
「あ『彰子のエチュード』の人が連載始めたんだ」と思いました。
子供心に池田理代子さんという方は、
社会派のマンガを描く人だというのは理解していました。
彰子とか、ちょっと暗いし^^;
それが、薔薇にレースにリボンがふんだんに、
そして極めつけは「ブロンドの髪をなびかせるオスカル様…」
フランス革命の意味なんて分からなかった。
薔薇やレースに心奪われるウチに、
アランの妹のディアーヌが死んで、それがあまりにも悲惨で。。。
やっぱり池田理代子ワールドだったのですよね。
ベルバラによって作られた私の中の何かは確実にあって、
それは、安易に揺らがせたくない…という気持ちがあります。
オスカルの軍服は、デザイン的にカッコいいから
ナポレオン時代のものだった。
なんてことを聞いてもガッカリはしませんでした。
史実より「ベルバラ」だったから^^;
では、史実ではマリーの最期はどうだったのだろう…
池田さんが「毅然とした死」と描いたのは、
細川ガラシャが毅然としていた、と信じるのと同じ
日本人のエトスがそうさせるのではないか。。。
日本人は「死」に対して尊厳を持っていて、たとえ敵であっても、
それを辱めてはいけない、というエトスがあるらしい。
(今は無い人多いね)
その感覚が池田さんにマリーを毅然とさせたのか!?
私は毅然としてたように思うのですよね。
西洋の貴族には、日本の武家のような「プライド」ってないのかな?
どうなんだろう?気位だけなのかな?
毅然としていたから、
後になってフランス市民は、国王を懐かしがるのじゃないか、
って思っている部分があるのですが。
それとも、単に圧政が辛かったから過去を懐かしんだだけなのかな?
クンツェさんはドイツ人?
ドイツ人の知る歴史観だと「M.A.」になるのかな?
マリーの最期の言葉は、断頭台に向かう途中で、
足を踏んでしまった兵士に向かって
「ごめんなさい、わざとではないのですよ」と言ったものだとか。
これも、あまりにも出来すぎな気がするのです。
マリーが犯したとされる罪は、
(当時のフランス市民はそれが死刑に値する過ちであるとしたわけで)
マリーからすれば、けっしてわざとではなかったのよ、と。
なんか、それだと、とてもしょんぼりした最期だったのかなあ。。。
なんて思うわけです。
でも、実際には、とても恐ろしい時間を過ごして、
毅然となんてしていられなかったかな。
フランス中が、自分を否定しているわけで、
それは当時なら、世界中とも言える感覚で、
中学校のクラスの中で「イジメ」にあっただけでも
絶望してしまう人があるのに、それが世界中なわけで。
(中学校と比較するのは、単に人数・規模の問題です)
国王すらも殺されて、次は自分と容易に想像できたでしょう。
マリーの孤独と絶望…ウツにもなるかな?
国民が国王一家を裁いて殺してしまうって、普通にあることではないですね。
今一つ、フランス革命に対して興味が湧いていなかったのですが、
少し、とっかかりがつかめてきたようです。
今のところ観劇の予定はありませんが、
良いお題を頂きました。楽しめそうです^^